2019年1月13日に、日帰りで韓国版ミュージカル『엘리자벳(エリザベート)』を観に行ってきました、その感想の続きです。一幕までの感想は、こちら。

ソウル公演:韓国『エリザベート』20190113(1)

新しいプログラムやグッズについては、次回の記事にまとめます。

20190113 Today's Cast
20190113 Today’s Cast

키치(キッチュ)

二幕のルキーニは、どんどん勢いが加速していきます(何の)客席の巻き込み方が、だんぜん巧くなっています!
いいなあ、このルキーニ。

내가 춤추고 싶을 때(私が踊る時)

トートのエゴもどんどん加速。

無理矢理エリザベートを踊らせようとしますが、この時のエリザベートのトートを見る表情が、憎々しげで、本当に嫌そうです。前回見たときは、そこまですごく嫌そうな顔ではなかったと思いますが、何しろこのトートが前回とは別人(別死?)ですから。

ここで舞台下手の前方まできて歌いあげるのが大好きなのですが、ここまでのトートでだいぶ魂持っていかれてるので、歌い終わったときは、思わず大きくため息をついてしまいました。それぐらい緊張して見ていたようです。

엄마 어디 있어요(ママ、どこにいるの)

前回見たときは、小さな子がすがってきたので、一瞬戸惑うみたいな感じがありましたが、今回は、そういう戸惑いみたいなものはまったくなく。

ルドルフが「가지마세요!(行かないで)」と言った直後に、声を出して笑ったのです。

「何言ってるんだ、バカだな」

みたいな感じで。しかも、ベッドから降りて立ち上がり、少しだけベッドから離れたところで。前回は、ここではベッドから完全には降りていませんでした。(見てるところが細かすぎか)

タイミングの問題かもしれませんが、ルドルフとの距離を感じました。これが後になっても現れていたので、ここからもうそういうスタンスだったのでしょう。

내숭 따윈 집어치워요(マダム・ヴォルフのコレクション)

そして、居かたがガラッと変わったのがマダム・ヴォルフのコレクションのシーンです。

前回、ここのシーンが好きで、リキ入れて書いたほどですから。変わったのを見逃すはずもありません。

歌の最後の方で、トートダンサーたちに紛れて出てくるのも、前回は舞台中央の奥でしたが、下手側から来たような。そして、ポール台には乗るんですが、片方の肘をもう片方の手で軽く支えて、こう、キザな人みたいに手を顔に当てて(←語彙力)、フランツの重臣の行状を「やれやれ、まったくこいつは」みたいに首を振って見ていて、そこで中幕が降りました!最後の見せポーズとかもなかったのです。

「わ!なかった!」

とびっくりしました。こういうところを変えてくるとは。この変更により、たしかに、「こんなところにも死は潜んでいた」感じは増していましたが。

전염병(伝染病、最後のチャンス)

そしてまあ、お医者さんのシーン。ここもエロい(笑)

しかも今回のトートは生々しいので、エロさ爆発。エリザベートの熱を手の甲で測るのですが、この手つきがもう。そのまま服を脱がせようとしますからね。

トートがなんだかどんどん肉体を持ってきた感じです。実体のない死よりも、もっと人間的なような。

그림자는 길어지고(Reprise)(闇が広がる)

それは、ここで確信しました。

紋章がゆっくりと上がって、闇広リプライズの前奏が流れますが、陸橋の手すりに後ろ向きで寄りかかっていたトートが、ゆっくりと振り向いて・・・手をパンパンとして、ほこり(?)を払ったのです。音が立つほどパンパンとしたので、ここでも鳩が豆鉄砲食らったみたいな気分です。トートが、手のほこりを?

舞台では、たとえば、ものを落としても、それを拾う必然性がなければ、そのまま放置します。(自分も一時期舞台をやっていたので)もしくは、通行人とか、そのままはける人が、さりげなく拾って去ります。意味のないマイムはしませんし、基本的に余計な動きはしません。

現に、12月に見たときはそんなことはしていませんでした。

今回は、「死」だけれど、そこに実体を持って存在している?

そして歌い方が大幅に進化していました。自らの言葉の延長として歌っています。「歌」を歌っていない。息をつくところや、抑揚のつけかた、強く訴えるところなどなど、すべてが変わっていました。

陸橋から降りてきたときの手のマイムもなくなっていましたし、ルドルフを迎えるように腕を広げてもいません。ですから、ルドルフが、ガッと、シクトートの脇に両腕を差し込みに行ってて(笑)

それでも、以前のように抱きしめてあげる感じでもなく、「ツンが過ぎるだろぉ!」と言いたくなる冷たさで、ほんの少しため息をつきながらルドルフの背中をポンポンとするだけです。

なんなの?このトートは!
役者が違うのかと思うほどの変わりよう。

その後、ルドルフが革命に失敗するまでを見ている様子は、前回とは打って変わって、無表情に近い。ルドルフが捕まったところでも、「やれやれ、やはりそうなってしまったか」みたいにちょっと呆れた雰囲気。フランツが女遊びに走った時と同じような表情です。

ひえ〜!役の解釈が違いすぎません?

죽음의 춤(マイヤーリンク 死の舞踏)

ルドルフの自殺シーン。ここもまた、細かくいろいろ変わっていました。一番の衝撃は、ここ。

銃をルドルフにすぐに渡さないというか、渡すけど見せているだけで、それをルドルフの方から取ります。そして、死の接吻も、わりとガッとしっかり狙っていく。前回は、形だけって感じがしましたけれども、今回はここも生々しい(何度目)

ここはBGMもなく静寂の中なので、よけいに恐ろしいのですが、倒れたルドルフをトートダンサーたちが掲げて連れて行こうとしたとき、トートダンサーたちの後ろに行ったシクトートは、ここで、唇をぬぐいます。(前回は、銃を拾う時)

そして、銃を拾って下手奥に歩いて行き、そのまま退場するのかと思いきや、客席側を向いて、左手に銃を持ったまま、右手を胸に持って行って、カテコの挨拶のようにお辞儀を!!!

そして銃口をふっと吹いて、去って行きます。

今のお辞儀はなに〜〜〜〜????

ルドルフへの最後の敬意を表するものであれば、ルドルフがいた場所を見て、斜めにお辞儀すると思うのですが、客席に向かってお辞儀したのです。

基本的に客席と交わるのは、語り部でもあるルキーニだけで、あとは全員、ルキーニの語る過去の話の中にいるはずです。トートが客席の人に向かってお辞儀するという構図は、絵の中の人がこっちを向いて笑った、ぐらいとてつもなく恐ろしいことです。

あまりの衝撃に、しばらく息をするのを忘れていました。

実際には、そこまで考察するほどのことではないのかもしれませんし、こんなことを何日も考えてる人なんていないと思いますが(汗)先にも述べましたが、舞台上では、特に大きなきちんとした舞台では、意味のないマイムはないと思っているので、その意味をぐるぐる考えてしまうのです。なぜそっちに向かって歩くのか、なぜ手を動かすのか、指先をその形にするのか。

しかも、言葉が完全には分からないため、マイムや視線、表情からかなりのことを読み取ろうとするので、よけいです。

추도곡(死の嘆き)

ルドルフを失ったエリザベートの嘆きようが、前回見たときよりも激しかったです。半狂乱です。

そして、自分を連れて行けと泣き叫ぶエリザベートに対するトートの言葉。低く、重く、怒りと苛立ちとが混ざり合ったような気持ちが、叫びとなって放たれます。

질문들은 던져졌다(Reprise)(悪夢、暗殺)

俺様トート様というより、エリザベートを幸せにできなかったフランツに対する怒りに満ちているようでした。

今度こそ、エリザベートを連れて行くのは自分だと、強く強く宣言しているような。

ルキーニにナイフを投げる時の叫びも、前回は高らかに叫んで投げていましたが、ルキーニの脳内に響かせるが如く、低く抑えた声でささやき(実際はささやいてはいませんが、そのような雰囲気で)、ナイフをヒュッと投げます。

うっわ!こっわ!!

叫んで投げるより数倍怖いです。

베일은 떨어지고(愛のテーマ)

命尽きるエリザベートの魂を迎えに来るトート。

前回見たオク・ジュヒョンさんとの回では、エリザベートをようやく獲得した感が強く、心の中でガッツポーズしてるぐらいの勢いでしたが、今回は、本当に愛おしそうにする死の接吻。壊れ物を扱うかのような繊細な手つき。そして、のけぞって倒れるエリザベートを支えながら、幕が下りる、最後、その瞬間、

とてもとても悲しそうな表情をしたのです。

今にも泣きそうな、その一歩手前。
ハッとしました。

・・・なるほど、だから、プロローグで、エリザベートの魂は、トートのそばにはいなかった。だから、白い衣装でエリザベートを迎えに来た。エリザベートの魂は、トートのそばにずっといるわけではなく、行くべきところがある。

神様の元へ。

カーテンコール

いやあ、さっきまで、あのトートだった人と同じ人ですか???

中身が入れ替わってませんか。
めっちゃイケイケで楽しそうに、かっこよく最後のダンスを踊るヒョンシクさん。
カテコではほんと、キラッキラしたアイドルですわ(笑)

もうちょっとあの余韻に浸らせて?

というわけで、8000字近くも感想を書いてしまいました(笑)
もちろんこれは、私から見た一つの解釈です。また何度か観に行く予定ですが、毎回、どんなトートになるのか、これほど楽しみなことはありません。